印象的フイナーレへ、盛り上がった山下のリサイタル
ジョン・クラグルンド記者
「ギター’84」は1週間にわたって開催されたが、ギターやリュートに関する全てが十二分すぎるほどあって、参加者でさえ全部巡り切れない位であった。我々マスコミ陣は、「トロント国際フエステイバル」も同時開催されたこともあり、ちょっと立寄る程度の事しか出来なかったが、昨夜立寄れたのが、エドワード・ジョンソンビル内マクミラン劇場でのリサイタルで、ちょうど日本のギタリスト山下和仁がトロント・デビューを飾るところであった。この、23才のギタリストは「ギター’84」の狙いを正に実現し、新世代の傑出したギタリストたちの正に「星」であることを立証してみせたので、運がよかったといえる。
1961年長崎に生まれた山下は、11才で日本の主要なコンクールに優勝しはじめ、1977年には、スペイン、イタリア、フランスのトップクラスの国際コンクールを各々制し、1983年自編のムソルグスキー「展覧会の絵」のアルバムで、例のドイツ・レコード賞を獲得した。昨晩のリサイタルでは、この作品がプログラムに入っているのが、まず記者の興味を引いた。反面、「展覧会の絵」以外は、ギタリストにとって挑戦的ではあってもかなり当り前としか見えないプログラムに思われた。
ところが、その当り前に見えた第1部が、とうてい当り前とはならなかった。まず、フエルナンド・ソルの「モーツアルトの魔笛の主題による変奏曲」では速弾きスピード記録を作った個所があった。全体としても、この変奏曲の効果は旅なれたギター狂をあっと驚かすもので、演奏終了後数分間は聴衆の拍手喝采で山下が次の曲へ進めない位であった。ものすごい速弾きパッセージの合間には、表現力豊かなパートや、もし山下がフレットとギターの肩の間の空間に顔をうずめてしまって、まだお客様が居るかなっといった様子で時折顔をあげて見せなければ、もの珍らしいテクニックのスタンド・プレーととられかねないパッセージもあった。
ソルの「変奏曲」は、それぞれのフレーズがフレーズとして成立する(たとえ念入りでなくても)だけの正確さと明晰さを備えていた点でも忘れられないが、フレーズそのものは演奏したというよりはたたき出した感があった。 第1部の残りの作品は、もっと期待に近かった。バッハの「パルテイータ第2番ニ短調よりシャコンヌ」は、山下の卓越技巧が十分生かされていた。澄んだフレージングの効果抜群のバッハで、対位法的細部に十分の目くばりが行なわれ、各フレーズのコントラストがくっきりと強調されていた。情緒的内容に物足りなさがあったとはいえ。武満徹の「フオリオスⅠ,Ⅱ,Ⅲ」では、もっとゆっくりと瞑想的な解釈が用いられ効果をあげていたが、個性的な印象主義はいかにも武満らしかった。また、ブリテンの「ノクターナル作品70」の解釈もこれまで聴いたこともない程むくわれた気持ちであった。「展覧会の絵」はどうかと言えば、これはもう感動的な偉業で、ベルとどしんとくる低音を欠いた「キエフの大門」だけが食い足りなかった。「ビドロ」(ポーランドの牛車)は、なめらかに重々しく進んだが、1台のギターからはめったに聴けない音色の多彩さやダイナミックレンジが非常に見事に表現されていた。「小人」は必要以上に醜い瞬間があったが、「卵のからをつけたひなの踊り」では、実際にひっかく有様が見えるようであった。「ゴールデンベルグとシュミュイレ」は、生き生きとしたコントラストがつけてあり、「リモージュの市場」では、世界で最も速い神たちが駆けめぐったが、「バーバ=ヤガーの小屋」は、それすら凌がんばかりであった。