ボストン グローブ紙 1987年 3月22日 (日本語訳)

聴衆を夢中にさせた山下のデビュー

ジェームズ・ゴールウェイ(フルート),山下和仁(ギター)
ザ・ヴォング・セレブリティー・シリーズ 主催
於 シンフォニーホール 金曜日夜
ナンシー・ミラーによる「グローブ」紙への特別寄稿

スーパースターであるジェームズ・ゴールウェイが快く脇役を務める多くの場合、それがどういう状況になるかを想像するのは難しい。金曜の夜に行なわれた日本のギタリスト、山下和仁とのデュオ・リサイタルもその1つであった。

 コンサート前に、ゴールウェイは、これは25才のギタリストの初めてのアメリカ・ツァーであり、「私は、彼とコンサートをすることを非常に誇りに思う。」と言った。更に彼は「どうして私が誇りに思うかがあなた方にも理解できるだろう。」とも言った。我々は彼の言っていることがわかった。それも実にはっきりと。山下は驚くべき程、才能に恵まれたアーチストである。彼は、最もありきたりな習作を、魅力あふれる音楽的なものに変えてしまうことが出来るのだ。そして彼は、正にその金曜日に、ありきたりに近いとも言えるプログラムを、彼の霊感と神がかった手で完璧なものにした。

 コンサートを通して山下の演奏は焼きこがすような効果の強烈さ、生き生きとした想像力、そして聴覚及び視覚の両面における、おびただしい効果に彩られた自然発生的なウィットに満ちていた。聴覚及び視覚において、彼は常に音の調子や音色を、弦をはじく場所、(サウンドホールの左、右、或は真上)によって、或は、激しい表現では彼は楽器をそのネックが頻繁に90度の円弧を自由自在に描いていた。意識しているとか、或は演出しているようには思えない。それどころか、すべてがなるほどと思わせる音楽的な結末に向かっていた。山下にとってテクニックはもはや論じるまでもないけれども、時に完璧なテクニックが、瞬間の精神に捧げられたことを注目するのは同様に楽しいことであった。このギタリストはまた、恐れを知らぬアレンジャーでもある。彼は「ベートーヴェン;ヴァイオリン協奏曲」,「ムソルグスキー;展覧会の絵」,「ストラビンスキー;火の鳥」,「リムスキー=コルサコフ;シェエラザード(全曲)」をギターのために編曲しただけでなく、信じられないことに、「ドヴォルザーク;新世界交響曲(全曲)」をも編曲した。

 ゴールウェイとのプログラムについていえば、「新世界交響曲より」の有名なラルゴが用意され、その夜のコンサートの頂点を築いた。(ドウォルザークに及ぼした、なるほどと思わせる影響についての、イェレミー・ユドキンの簡単な説明にアメリカの作曲家ジョーン・シャドウィックを知ることが出来たのは素晴らしいことであった。)新世界の演奏が始まるにあって、殆ど全ての聴衆は何か特別なものが始まろうとしていることを、そして、まだ宵の口であることを知っていた。山下が演奏にはいるため身構えると、ピンが1本落ちる音さえも聞くことが出来るほどの静けさであった。そして、「かけ」をするなら、誰も失望しないという方にかけるのが確実であった。その演奏の楽器編成は、ドウォルザークが意図したものからひどく遠ざかったものであったが、にもかかわらず、その音楽はフル編成のシンフォニー・オーケストラ以上とはいわないまでも、それと同じ程度の広がりで、そのすべての細かい部分をダイナミックで、人の心を動かさずにはいられないものであった。

 コンサートでは、その他に、ゴールウェイと山下は、パガニーニの技巧的な「ソナタ・コンチェルタータ」,ジュリアーニの楽しく喜ばしい「グランド・デュオ・コンチェルタンテ」作品.85(素朴なスケルツォにおいて、山下は一対の狩猟ホルンを首尾よく表現した)、カステルヌオーヴォ・テデスコの息の合った「ソナタ作品205」,ロッシーニの「アンダンテと変奏」と云うオペラ・ブッファの道化者、そしてゴールウェイと山下の共同で編曲された、チマローザの鍵盤のためのソナタ集から特に楽しい楽章のコレクションを演奏した。しかし、C.P.Eバッハのフルート・ソロのための「イ短調ソナタ」は、ルバートであんなに重々しく演奏する必要が実際にあっただろうか。ゴールウェイは、彼の流暢な話による解説の中で、我々に、第一楽章の2拍子は「行進のためのもの」であると話してくれたが、これで行進が行なわれたとすれば、とんだお笑い草であったろう。

★これは、1987年3月20日、アメリカ.ボストンシンフォニーホールに於て開催された、ジェームズ・ゴールウェイ&山下和仁のデュオコンサートに対する新聞評です。

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